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自分の志望大学のコース

前の年に、自分の志望大学のコースに在籍した高三生か五十人いて、その大学に十人合格していれば、その大学への合格率が二〇%はあると推測できます。このような数を算出することでも、合格実績を見ることはできます。また、志望校に絞らずに、全受験学年がどのくらいの確率で大学に進んだか(かりに進学串と呼びます)を調べても、その予備校・塾の進路指導の的確さが見て取れます。進学率が高いということは、かならず受かるような受験スケジュールを組んで、受験させている可能性があるからです。第一志望に成績的に開きがあれば、第二、第三志望を、受験生か納得するかたちで選んでいき、最終的に、かならず大学に合格させる。受験指導における、こうした堅実な姿勢が窺われます。

文章題や応用問題が解けなくなってしまう

「できる」ことと「わかる」ことはどう違うのか、疑問に感じていた方も多いのではなかろうか。私は「できる」ことと「わかる」ことは違うのだということを、塾の父母会や講演会などでよく話してきたし、この両者を厳密に区別して、子どもと接するように心掛けてきた。「うちの子は計算はできても、文章題になるとできないんです。どうしたらよいでしょうか」というような質問を、よく受ける。例えば、3×6はできても、「クローバーには、はっぱが3まいついています。今クローバーが6本あります。クローバーのはっぱはぜんぶでなんまいですか」という文章題になると、全くできない子がいる。この子は、掛け算の基本的な意味であるところの「1つあたりの数」×「いくつ分」=「全体の数」ということがわかっていないのだ。つまり計算(九九は暗記している)は「できる」が、掛け算の意味が「わかっていない」ことになる。掛け算でいえば、計算が「できて」しかも掛け算の意味が「わかる」ことが、本当に理解したことになるのだ。そうしないと文章題や応用問題が解けなくなってしまうので気をつけたい。

認知心理学の世界

認知心理学の世界では、思考、つまり問題を解くための推論に使える知識を重視します。私は、このような知識を真の知識と呼び、未整理で推論の材料に使えない、インターネットで検索した内容のままのような知識は情報レベルの知識と呼んで、分けて考えています。つまり、それらの雑多な知識を、特定の目的のために、関連性のある文脈にあてはめて応用することが、本来的な脳の情報処理の姿なのです。たとえば、肉料理をつくるときに、魚料理の隠し味の知識を整理・応用すれば美味なものがつくれるかもしれません。また、鯛を料理するときのコツを知識としてもっている場合、それをヒラメやカレイなどほかの魚料理に応用してこそ、知識は存在価値を高めるのです。「一芸は多芸に通じる」といいますが、和食料理の達人がイタリア料理の前菜をつくってみようとしたときに、和食の知識を整理・応用すれば、すばらしい和食ふうのアンティパストをつくれるかもしれません。逆に、和食の料理人がイタリア料理を食べにいけば、「バルサミコ」のようなイタリアならではの調味料を和食に使ったらおいしいのではないかと思いつくかもしれません。さらにあん肝とキャビアを和えたらどうなるのか、とか……。こうした試みはとてもおもしろく、興味をそそられるわけですが、考えてみれば、新アイデアといわれるものの背景には、脳による情報処理が介在しているといってよいのです。


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